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01-----introduction
2016年〜2017年の年末年始にバルト三国を旅した。
ソースによっては北欧にカテゴライズされたり、東欧って言われてたり、色々と宙ぶらりんな北国。
ほんの30年前まではソビエト連邦の支配下だった。
歴史上ドイツやスウェーデンやロシア、周辺国にやたらといじめられてきた小国たち。
自分は昔から華やかなものより寂しげなものに惹かれる質であり、
ここに行かねばならない、いや、呼ばれている気すらしていた。
2016年12月28日正午ごろにフィンランド航空AY074便で成田を発ち、
10時間ほどでフィンランド/ヘルシンキ・ヴァンター空港着。
現地と日本で7時間の時差があるため、時間感覚はもうこの時点でめちゃくちゃだ。
愛煙者ならわかると思うが長時間フライトのヤニ切れ感はなかなかエグい。
到着後すぐに喫煙所を探す必要があるが、
幸いヴァンター空港は慣れているので大体どこに何があるか判っている。
そそくさと一服し、クラクラしながらも矢継ぎ早に次の一本に火をつける…
と、早くも乗り継ぎ便のファイナルコール。
ゆっくり休むこともできず、最初の目的地リトアニアへ今度は2時間の空の旅。
雨が打ちつける窓のむこうには夕焼けだか朝焼けだかわからない空が見えた。
02-----ARRIVAL BALTIC COUNTRIES
リトアニアに到着。
およそ空港と呼ぶに似つかわしくない小ぶりなミュージアム風の建物から一歩踏み出すと、
まるでゲレンデに降り立ったかのような冷気が強い風を伴って出迎えてくれた。
少し前に降雪があったらしい。良くて±0℃、酷い時には-20℃にもなるという北国の洗礼を早速浴びる。
少し歩いただけでもう指先の感覚がなくなり始め、この冬初めての手袋。白い息の量は魂が抜け出ているかのようだ。
市街地に出ようと、重い荷物を引いて震えながら空港の向かいの駅舎へ。
人の気配がない気がしていたが、なるほど…国の玄関口直結の駅なのに電車は1時間に1本。
いきなり面食らうが、そうだった、余程の先進国でもない限り普通はこんなもんなのだ。
とは言ってもこの寒さの中1時間は待てない。予定を変更しバスに揺られることに。
03-----VILNIUS, LITHUANIA / NIGHT
宿のチェックインだけ済ませ、すぐに旧市街に繰り出す。
尋常じゃないぐらい寒い。恐らく経験した中で最も低い気温だったのではないだろうか。
あまりの寒さに草木も石造りの建物も眠っている、そんな感じがした。
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デジタルカメラの電池は急激な速度で減る。
街灯の明かりをぼうっと、空気の膜が包んでいる。
生まれて初めてコートのフードをお洒落目的以外で被った。
04-----VILNIUS, LITHUANIA / DAY
目を覚ましたのは午前6時台。辺りはまだ闇に包まれている。
何処かで見聞きしたところによるとこちらの日の出は午前9時過ぎということだった。
朝食を取っても、身支度をしても一向に明るくならないのでやきもきしたものだ。
そうして漸く迎えた北国の白い朝。
車道を走り去る車こそあれ、人影はとんとまばら。
この広大な空間に招かれたかのような一種の優越感をもって静寂の街を閑歩する。
ヴィリニュスで目にしたものといえば、寒空に映えるネオン管、寂れたクリスマスマーケット、
慣れた調子で猛スピードで駆け抜ける旧市街におよそ似合わない新車、
『街を一望できる』という謳い文句でもって観光客寄せの目玉にされてしまった古い時計塔…
けれどもそれらは、
先進都市東京で心身にこびりついた垢を洗い落としてくれるには十分だった。
惜しむらくは、この国の蒸留酒にありつけなかったことか。
05-----Užupis, LITHUANIA
ヴィリニュス旧市街から一本の橋を渡ると、そこはアーティストの国"ウジュピス共和国"。
国連は非公認、アートに関心のない人からすれば『ここには何もない』のだという。
いつの頃からかこの一帯にアーティスト達が住み着き、ここを国とした。
人の気配はほとんどないが、街じゅうに掲示される絵画、グラフィック、
そこかしこに点在するギャラリー、バー。
なんて素敵なのか。
アーティストが集まり、共和国建国と独立を宣言し、
たとえ冗談交じりだとしても母体の国家がその存在を許す。
そんなことが、果たして日本で可能だろうか?
06-----Šiauliai, LITHUANIA
チャーターした車はトヨタの新車だった。
こんなに綺麗でいいのかと少し興を削がれると同時に日本車の信頼度の高さはここでも健在かと複雑な気分になる。
首都ヴィリニュスから少し離れただけで道中両脇には広大な牧草地帯や針葉樹林が広がり、民家はまばらに。
目的地はリトアニア北部・シャウレイ。
3時間のドライブののち、平原の彼方に目的地を認める。
聖地・十字架の丘。
トラベルガイドではないので詳細はネット検索されたし。
平原特有の強風が吹きすさぶ中、ここへ来るまでに頭に入れたこの場所の悲しい歴史を反芻しながら…
5万ともそれ以上とも言われる十字架で埋め尽くされた小ぶりな丘を歩き回り、写真に収めていく。
ここに限った話ではないが、普段人が大挙して押し寄せていても不思議でない場所に何故だか
エアポケットの如く誰もいない時間があり、そこに自分が居合わせることがある。
自分はそれを『土地に祝福(歓迎)された』と思うことにしている。
この場所でもそれが起きた。
あらかた撮り終えてから観光客の大群が押し寄せたのだった。
そろそろ車へ戻ろうかとしていた時、日本人の男性に声を掛けられた。
結果的にこの旅で唯一出会った日本人になったわけだが、聞けば同じ土地の出身で
動機は違えどこの場所を目指して同じタイミングで日本からやって来たのだと言う。
この数奇な出会いに感謝し、連絡先などを交換することはなく互いの旅の無事を願い合い別れた。
彼も今頃は帰国しているだろう。良い旅だっただろうか。
震えながら車に乗り込み十字架の丘を後に。再び車で3時間さらに北へ向かう。
ありがとうリトアニア。
次の目的地はバルト三国の真ん中に位置する国ラトビアだ。
07-----Rīga, LATVIA
車で国境を越え、ラトビア共和国の首都・リガに到着した頃にはすでに夜のとばりも降りようかとしていた頃だった。
宿から程近い広場では、ここでもクリスマスマーケットが開かれている。
凍りつくような寒さの中暖かなスープを飲み干す。
笑ってしまうぐらい大量の白い息が口から漏れ出る。
焚き火の煙の匂いが体にまとわりつくが、特に気にならないあたりそろそろこのあたりの土地にも慣れてきたようだ。
ラトビア人が飲んでいた土地の酒、熱々の"ブラックバルサム"を口にやる。
薬草酒独特の芳醇さが熱によって全開になっている。一口で酔いそうだ。
そいつと、浮かべられたカットオレンジの甘苦さとを行き来させながらマーケットを行き交う人々を見るでもなく見る。
人々は歩きながらスマホを見たりはしない。ヘッドホンで世界を遮断したりはしない。
真っ直ぐに目を見て対等に話す。その時、不必要に身体を動かしたりはしない。
翌朝カフェの窓際の席に陣取る。
なんとか大聖堂やなんとか教会、銅像なんてものに興味は湧かない。
毎回、その場所の歴史は遅くとも飛行機での往路のうちには頭に入れるようにしている。
自分が見たいのは観光名所ではなく、そこを日常としている人々、その空気。
コーヒーをすすりながら何を考えるわけでもなくそれを眺めていたい。
であるからして、自分の旅というものは恐らく傍目にはひどく退屈に見えることだろう。
なにせあてもなく歩き回って、居場所を見つけ、ずっと黙っているだけなのだから。
短い日が暮れて、日本から遅れること7時間。ここバルトでも2016年が終わろうとしていた。
川沿いに向かって人の波が移動しているので何事かとついていくとニューイヤーズパーティーが行われていた。
異国で見る花火。乙なものだ。
宿の付近の広場に戻ると、クリスマスマーケットではDJがキレキレのEDMで場を盛り上げている。
地面を転がりながら踊る若者たち。こういうのは世界中どこでも同じだ…
が、世界遺産に登録されてもいる石畳とバロック、ゴシック等の建築物が入り乱れた歴史地区に
真夜中に響き渡るEDMというミスマッチがどうにも面白いのでその光景を肴に大聖堂前のベンチで深酒。
明け方ベッドに潜り込む。数時間後にはチェックアウトし、最後の目的地へ向かわねばならない。
08-----Tallinn, ESTONIA
凍てつくバスターミナルには、普段ならもっと多くの人が詰めかけているのだろうか。
2017年1月1日、こんな日の午前中から国境を越えるバスに乗ろうなんて酔狂な人間は少なく、
チケットチェックも速やかに暖かな車内に座ることができた。
ターミナルの係員は大荷物を預かろうとするが、こちらは車内に持ち込むと言って譲らないので怪訝な顔だ。
これは生憎機材バッグで雑に扱われると大変なことになる。申し訳ない。
3時間ほど揺られただろうか。
眠りこけているうちにバスは国境を越え、バルト三国の最北部エストニア共和国に入っていた。
エストニア共和国・タリン。
年も明けたというのに、まだクリスマスマーケットは賑わっている。
キリスト教文化圏ではクリスマスと新年はセットと知ってはいたがここまでとは。
半ば呆れながらも、郷に入ってはという諺もある。この際楽しむことにした。
もうこの旅も終わりが近い。宿で過ごす時間を最小限にし昼夜を問わず歩き回る。酒とコーヒーを探しつつ。
海に面した港町であるここにはバルト海からの強風が旧市街を駆けるように吹く。
歩き回り、カフェやバーで休み、繰り返しているうちに雪がちらつきはじめる。
残雪はそこら中で目にしていたがこの旅最後の最後で初めての降雪に見舞われた。
バルトでは浮浪者や物乞いを見かけなかった。
いたとしてもこの寒さでは一巻の終わりだろう。皆どうしているのか。
翌朝の帰路に備え、早めに眠りにつく。
午前7時。煙草を一服するたった数分で髭は凍りつく。
海の方角の空が朱い。北国特有の現象だろうか。
朝食後身支度を整えていると、フィンランド航空から一本のメール。
英語でよくわからないが『キャンセル』の文字だけは判る。
各所に問い合わせた結果、どうやらパイロットのストライキに巻き込まれたらしい。
最後の最後に凄いトラブルだ。
ジタバタしても仕方ない、前日気に入った旧市街のコーヒーショップに寄り、名残惜しさを押して空港に向かう。
タリン→ヘルシンキ→成田で12時間という北回りの予定だったがストのためヘルシンキからアジア方面には飛ばないので、
タリン→ベルリン→イスタンブル→成田で26時間という南回りのルートでチケットを押さえる。
09-----Return from Baltic Countries
搭乗時間の合計は16時間ほどだが、3便乗り継ぐそれぞれの間に待ち時間は当然ある。
ベルリン・テーゲル空港ではサラダとビールを、
イスタンブル・アタテュルク空港では昏倒しそうなくらい大量の煙を吸い込んだ。
どちらの都市も過去に来たことがある。街に出たい気持ちを堪える。
ベルリンではまだ写真を撮る元気があったが、
イスタンブルに到着する頃に至ってはもう疲れ切ってヘトヘトになっていたようだ。
後で見返すと1枚も残っていなかった。
覚えているのは、いつだって帰路は窓の外を眺めないものだなと思ったことぐらいだ。
2017年1月4日、日本に帰国。
JR新宿駅に着いたバスを降りいつもの道を辿って家に帰る。
新宿はいつものように人混みと過剰な文明の暴力によってただそこにある。
ついさっきまで居たような気がするバルト旧市街との乖離たるや。
「またここに戻って来てしまった。」
真っ先にそう思ってしまった自分は一体何処ならば満足するのか。
旅は続く。
10-----Outroduction
自分は旅先の人々に正面から向き合わず、
向こうがこちらを気にしていない時にここぞとばかりに垣間見ている。
それは英語が満足に操れないからかもしれないし、
相手が日本人であっても酒の助けなしには普通に接することのできない性格だからかもしれない。
はたまた、最初からそれでいいと思っているのかもしれない。
理由は様々思いつくが、だから自分の写真では、人々はこちらを見ていない。
以前は『声を掛けて撮った方がいいのではないか』と、それが出来ない自分に悩んだこともあった。
が、それをしたところで自分にとっては背伸びであって、ありのままではない。
何より…
何のために旅をしているのかといえば、
外界を観測・観察することによって内界の再確認をしているのだと思う。
今身を置いている地点、今身の回りにあるものごと、それはどんなものかを、どんな意味を成すかを、
別の観測点から測っているのだと思う。
回りくどいがこうすることによって明確になるものがあるし、内省が円滑になる。
(この辺りは小難しい話なので割愛する。)
今回の旅の記録をデジタルカメラで撮影した分をここで発表させていただいたが、
実はフィルムで撮影したものは未発表だ。
それはまた、長い人生のいつの日か。
2017年2月
石本一人旅 / Lonesome Ishimoto
使用機材
* Canon EOS-1DX
* FUJIFILM X20
* FUJIFILM チェキ instax mini 8
Music
"Taxi Valse" / Jeremy Sams
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